インターネットの発達によって、近年では急速に身近になった「創作活動」は、多くの場面で生活の質を向上させてくれる趣味の一つです。
そんな中でも、このブログでメインコンテンツとして据えさせていただいているのが「小説」です。
小説を書くということは、創作の基本的な能力を身につけるといううえで、「最初の創作」にはうってつけのものです。
それについて解説しているページは下記のとおりです。
小説を書くことは多くの場面でメリットが多いものです。
しかしながら、そんな小説にも「これはしないほうがよい」ということがあります。
今回はそんな「小説を書くうえでおすすめしないこと」を、筆者の個人的な経験を交えてお伝えさせていただきます。
創作はそもそも自由なもの
「小説を書くときにしてはいけないこと」と題してはいますが、本来小説、ひいては創作というものは自由なものです。
創作は自由なもの。それはこの記事の最大の前提であり、だからこそこれから先の記述において大切なこととなります。
ある程度の自由性がなければ、創作というものは発達していかないものです。
創作とは、今までになかったことを創造するものです。それがどのような手段によって行われるか、それこそが様々なものを区別するものでしょう。
創作の手段には、実に幅広い種類があります。少しまとめるだけでも、下のようなものがあります。
・イラスト
・文章
・写真
・映像
創作はいわば自己表現の一つの方法です。自分の中にある考えや理想を創作という形で表現し、見ている人達に伝える、それこそが創作の本質です。
しかしながらこれは非常に難しいものでもあります。
なぜなら、人間の内面を表現するということは、それだけ「マイナスな面」も出てくるようになります。
そういう「マイナスな面」というものには、創作において様々な要素となって反映されます。
そのマイナスな面というものが、「見ている人を傷つける可能性」です。
多くの場面で、創作は自由であるべきですが、「誰かを傷つける可能性のある表現」というものは、難しい取り扱いが求められます。
そのため、創作というものは表現するものに関して、議論が必要なものもあります。
そんな創作ではありますが、だからこそ自由なものであるということについては強調したいと思います。
自由な創作をするためにも、逆に自由なもののなかで「これだけはやらない方が良いこと」をこの記事で解説させていただいています。
最後までご覧いただけると幸いです。
1.基本的な文章知識を押さえる意識しない
まず第一に、「基本的な文章知識を押さえる意識しない」ということです。
小説は基本的に自由です。文章のクオリティはもちろん高いほどよいかもしれませんが、最初の段階ではそれも難しいでしょう。
むしろ、最初の段階では「小説を書き続ける」ということそのものがハードルが高いかと思われます。
そのため最初は、「習慣化」するために集中することが大切であり、クオリティは二の次になります。
基本的な考え方はそれでよいのですが、その中でも「文章の基本的な知識」に関しては意識しておくべきでしょう。
これは小説を書くうえで、「禁則処理」と呼ばれるものであり、最低限のルールとして知られています。
「禁則処理」は、文章を読みやすくするためのルールと呼べるものであり、日本語を文字として表現するうえで最低限守られるべきルールのことです。
この「禁則処理」は、「なんとなくは知っているけれどよくわからない」というものであり、代表的なものは以下のようなものがあります。
行頭禁則文字(行の頭に来てはいけない文字等のこと)
行末禁則文字(行の末に来てはいけない文字などのこと)
分離禁止文字(改行の際に分離させてはいけない文字などのこと)
これらの禁則処理は、義務教育の国語で習う基本的な文章のルールであり、もちろんこれ以外にもたくさんのルールや作法があります。
もちろん小説は自由なものですが、これらは最低限満たすべき「常識」であるとされています。
またこれらのルールは、「文章を読む時に障害になること」と言い換えることができます。そのため、これらを無視することは単純に読みにくい文章になってしまう可能性があります。
そのため、これらは最低限のルールとして押さえておくべきポイントになります。
2.「作品」によって他者を攻撃しようとする
次にやめたほうがよいことは、当然なのですが「作品を使って他者を攻撃しようとする」ということです。
創作は確かに自由であり、現実では吐き出すことのできないネガティブな感情を表現するのはとても良いことです。
これは間違いないのですが、意図的に「特定の誰か」を攻撃するとなると話は違います。
そもそも誰かを攻撃することと、ネガティブな感情を創作に昇華するのは全く違います。
今回の記事では具体的に下記のような違いであると明言させていただきます。
攻撃としての創作 ~ 特定の他者に対しての悪意を込めて作品を作ること
昇華としての創作 ~ 感じたネガティブな気持ちを土台にして新たなテーマ性や物語を作り出すこと
この二つは似て非なるものであり、創作に打ち込むうえでの意識としても全く異なるものになるでしょう。
例えば、悪役的なキャラクターの取り扱いが顕著に現れるところと言えるでしょう。
作品として、悪役的な役回りのキャラクターがいることは一般的ですが、その描き方やプロセスに、作り手の考えが現れる部分になります。
ここで、しっかりとした作品への意識を向けるのであれば、正当な理由や納得のいく描写を立てるでしょう。
しかしそこで、「誰かに対しての攻撃」が交じると、そのキャラクターの軸や信念がぶれていきます。
悪役的なキャラクターは、物語においてネガティブな側面を担うことになります。
キャラクターのとどまらず、作品におけるネガティブな部分を担う場面では、必ず作り手のそのような側面が浮き彫りになるでしょう。
そして作り手以上に、読者にはそのような違和感が伝わってしまいます。
読み手というものは、作り手が思うより深く作品のことを読み込んでいるため、ネガティブな感情は確実に伝わり、それは良い評価につながることはないでしょう。
そのような微かな違和感が作品に現れることになります。これだけで、「作品によって他者を攻撃する」ことへの危険性が理解できるかと思われます。
ネガティブな感情を持つことは現実世界において非常に多々あることです。だからこそ、その気持ちをバネに作品を作ることは良いものが生まれる可能性があります。ですが、それを攻撃手段にしてしまうことは絶対にいけないことです。
3.公開するものと非公開のものを分けて考える
次に「公開するものとしないものを分けて考える」ということです。
これは非常にわかりやすいところかと思われます。
小説に限る話ではないのですが、作品として明確に公開する作品は、最低限でも下記のようなことに気を遣う必要があります。
その作品によって傷つく人がいないかに留意する
作品が中途で終わらないように配慮する
最低限の推敲を心がける
作品を作る際にて、「公開する」ということはファーストステップになるかと思われます。
公開された作品がどのような評価を受けて、どのような形へなっていくかはわかりませんが、その最低ラインに立つためには、上記の条件はまさに最低条件となります。
これらの条件を満たすのは、かなり大変なのは間違いありません。
すべての作品においてここまでのことができる人は少ないでしょう。
ですが、「この作品は公開する予定がないから」といって、手を抜いた作品にしてしまうのは良いこととは言えません。
創作をする以上、必要なことは「常に最高の作品を作る」という心意気を持つことかと筆者は考えています。
公開する予定の有無で作品に対する熱量が変わってしまうのであれば、それは「その作品が創作として作る価値がない」と吐露してしまっているようなものです。
作品に対するモチベーションを維持するのは非常に大変です。
その一方で、作品を作るためには一定レベルの継続力とモチベーションが必要です。
それを維持するためには、作品自体のある程度の力が必要になります。
公開する、非公開するというところにモチベーションが関係している時点で、その作品そのものの力が少ないということになります。
せっかく時間をかけて作品を作るので、ある程度のレベルの作品に仕上げることは結果的に良い方向に結びつくことになるでしょう。
そのためには、公開する、公開しないということで、作品に対する熱量を左右されるのは避けたほうが良いでしょう。
4.自分の作品を蔑ろにする
次にしないほうが良いこととして、「自分の作品を蔑ろにする」ことです。
これは今回紹介する中でも最も注意しなければならないことだと筆者は感じており、作品づくりに直結する大切な部分です。
創作をしていると、どうしてもその界隈で「どんなときでも素晴らしい作品をつくる人」というものがいます。いわば、圧倒的な才能を持つ人たちも一定数存在している業界が創作という世界になります。
そんな中、圧倒的な出来栄えの作品というものを見て、「自分はあの人と比べてこんな作品しか作れない」と思うこともあるかもしれません。
小説においても同じであり、主に下記のような作品を見れば圧倒されている感覚を感じることでしょう。
小説投稿サイトで上位ランキングに居続ける作品
高い完成度からメディアミックスへとつながっているような作品
毎日高クオリティの作品を投稿されている
小説において、自信を喪失するというシーンはこのような場面が見られるでしょう。
もちろん、これらを見て「モチベーションを維持しろ」ということを言っても意味がありません。
高いクオリティの作品に対して、「あの人から比べれば自分の作品なんて」と悲観することは、よい効果は一つもなく、いたずらに自分の創作の質を落とすだけです。
肝心なのは、「どうして自分がその作品を作りたいのか?」という原点に立ち戻って考えることです。
創作の存在意義は素晴らしい作品を作ることだけではありません。自分が楽しいから、自分の作品で誰かが楽しめれば、そんな気持ちが根底にあるからこそ、創作をするわけです。
自分の作品を蔑ろにしようとしている時点で、創作の根本を見失っているかもしれません。
下記のような問いかけを自らにすることで、創作の楽しさを再度考えてみると良いかもしれません。
このような質問を自分にすることで、創作の意義と楽しさを再度考えることにつながるでしょう。
5.結果を過剰に意識する
最後に「結果を過剰に意識する」ことです。
これは言い換えるならば、「作家で食べていけるまで頑張る」というような、結果に対して過剰な目標を持つことです。
当然ですが、最終的な夢として「作家になりたい」という気持ちがあるのは良いことです。
この文脈で言っているのは、「他者からの評価や成功に固執しすぎる」ということです。具体的には下記のようなものになるでしょう。
素晴らしい作品ができたと考えて、利益を求めようとする
自分の作品に評価がつくことを過剰に気にする
自分により評価されている作品に対して攻撃的になる
作家を目指しすぎるあまり精神を病んでしまう
上記のような内容は、結果への過剰な意識が原因となっていることが多くあるでしょう。
確かに結果を意識して作品を作り、クオリティを上げていくということは絶対に必要なのですが、それを意識しすぎると良い作品を作ることは難しくなります。
特に「自分の創作で成功したい」という気持ちは非常に危険です。
なぜなら、創作の世界においての「成功」は、その人の実力だけではなく、「そのときに何が流行しているのか」や「多くの人の目に触れる機会があるか」なども関係します。
創作のクオリティと作品レベルで勝負したい、そう考える方は多いでしょうが、実際のところすべてが作品のレベルという土俵で戦っているわけではありません。
作品をどのようにマーケティングするのか、どのような媒体で発表するのか、どのような人が目にして、どのように広がっていくのか。
これらは誰にもわからないところがあります。だからこそ、自分ひとりだけの力ではどうすることもできないことが多々あるわけです。
作家というのいわば、「好きで作品を作っていて、たまたま多くの人の目に触れて作家になれた」という結果論的な話で捉えることが大切です。
もちろんですが、圧倒的な才能とアウトプット能力があれば、意図的に作家になることもできるかもしれません。
ですが筆者を含め、多くの人はそこまで図抜けた才能があるわけでありません。
才能がないわけではなく、それを活かすためには自分の頑張りだけではどうすることもできないこともあるわけです。
そのようなことから、結果に対して過剰な意識を向けることは、創作において危険であり、避けた方が良いでしょう。
まとめ
今回は「小説を書くときにしてはいけないこと」と題しまして、避けたほうがよいことについていくつか紹介させていただきました。
まとめると下記のようになります。
今回は「小説を作る時にしてはいけないこと」と題しまして、5つのことをまとめさせていただきました。
創作の世界にいるとどうしても、圧倒的に優れた作品を見ることや、多くの閲覧数や反応のある作品を見ることになります。
それに対して「羨ましい」という羨望だけではなく、「自分の作品のほうが優れている」と嫉妬的な気持ちを抱く人もいるかも知れません。どちらにしても、それらの気持ちは変える事はできません。
それを受け入れたうえで、かつ作品に昇華することで、素晴らしい作品を作るきっかけになるかもしれません。
ここまでご覧頂いた方がいましたら幸いです。このこのブログでは小説や物語を中心に、ためになる記事作りをしています。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。